10歳若い体づくりを目指し、
元気で明るい日本をつくりたい。
人として豊かになれる社会を、
明るく元気な日本を、
私たちは粘り強く、つくっていく。
病気になってから治療するのではなく、
病気にならない体づくりを目指すことを
広めていく。
ひとりひとりに健康な毎日を。
「FitLabo」の『i』と『t』の繋がりは、“人との繋がりから生まれる笑顔”、“手を取り合っていく愛情”を表しています。
そしてキーカラーとなる青色は、フィットラボが大切にしている“誠実・信頼” の意味が込められています。
フィットラボは、お客様との繋がりを大切に、皆様が健やかな日々を過ごすための商品づくり、信頼できるアフターサービスを続けて参ります。
メッセージ
10歳若い体づくりを目指し、
元気で明るい日本をつくりたい。
「働きたいのに働けない──」
この悔しさが私の原点にあります。
22歳、大学を出た私は、東京からふるさとの鳥取に帰り社会人1年目を迎えようとしていました。
ところが入社1週間前、健康診断で「肺結核」と診断され、そのまま退職して結核専門の療養所に入ることになりました。治療しても一向によくならず、ずっと寝ているだけの日々。隔離病棟なのでほかの階に行くこともできませんでした。
大学時代、母は女手一つで毎月仕送りをしてくれました。私はその恩に報いるべく、学校を出たら一生懸命働きたいと思っていました。でも、それがまったくできない。「なんで自分だけ」と、身体を震わせながらベッドの上で何度も頬を濡らしたのを覚えています。1年後、医師から「もう1年いなさい」と言われましたが、外に菌も出なくなっており、「通院して治します」と宣言し、療養所から出ることにしました。そして、最初に働いた会社がアスモケアの原点となる初期の電位治療器を扱う会社でした。
この仕事は人々の人生を変える力がある!
研修で話を聞くと、「昭和時代、肺結核が良くなったことがきっかけで生まれた治療器」と知り、そこでさっそく商品を購入し、自分でも試してみました。1日8時間、寝ている間にかけていましたが、2週間でそれまで毎晩出ていた痰がほとんど出なくなった。3か月後、病院に行ってレントゲンを撮ると「よくなっています」。それまで一度もその言葉を言われたことがなかったのでとても感動しました。そして療養所を出てから1年後、私はお医者様から手が離れたのです。
「この仕事は人々の人生を変える力がある!」。そう確信した私は、その商品を知ってもらうべく猛烈に働き、やがて多くの感謝の声を多くいただくようになりました。最初は「そんな怪しいものを」と反対していた母も、感謝される私の姿を見て「いい仕事をしているな」と言うようになり、私もどんどん自信を深めていきました。そして長い時を経て、2003年に独立し、今の会社のフィットラボを立ち上げることになります。
愛があります、思いがあります、笑顔があります。
私の願いは「10歳若い体づくりをめざし、元気で明るい日本をつくること」。仕事を通じてたくさんの高齢者の方々に出会いましたが、本当に多くのこと学びました。そんな方々がいつまでも元気で、そして笑顔でいられたらどんなに素晴らしいだろうと思わずにはいられないのです。
フィットラボは決して大きな会社ではありません。でも愛があります、思いがあります、笑顔があります。それだけは絶対に負けないつもりです。健康な身体で働けるのは本当に素晴らしいことです。みなさまを1人でも元気に、笑顔にするために、社員とともにひたむきに働きたいと思っています。
株式会社フィットラボ
代表取締役